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アルバム「ココNO.1」データ

1999年5月発表
自主製作盤(現在は廃盤)


表ジャケット



裏ジャケット


<収録曲>

1. 夜の電車

2. ビビアンスー

3. 我が人生はニンニク

4. ノムサン
(※2nd Editionは、コラージュバージョン)

5. アーパー娘

6. 天気いいときはプライア

7. ソムリエ

8. イハイのサンバ

9. ココのマンホール

10. シャンハイ娘

11. コッペパン

12. 今日も梵天

13. ココNO.1

<Credit>

プロデュース・演奏:Q-tchan
表ジャケットモデル:Q-tchan、Aki
ジャケットデザイン協力:Bamboo、Caipirinha

(C) 1999 Q-tchan

【ココNO.1作者解説】(2016.5.改)

「1998年秋のある日、ジャクソン・ド・パンデイロの フィーチャーしたコーコというリズムと彼の持つコミカルな詞の内容にマッチする日本語詞の歌が、 まるで神様が降りてきたかのように突如浮かんできた。」

ブラジル音楽のリズムにマッチする日本語詞をどう作ればいいのか。 もともと「歌」をつくることに興味があった僕にとって、このテーマにぶつかることは、 ある意味必然であったと思う。とはいえ、大学生になりブラジル音楽と出会ってから しばらくの間は、そういうチャレンジをしなかったと思う。ブラジル音楽はブラジル音楽だから ポルトガル語の歌詞で歌うのが正解という認識からだ。その考え方は、今でも特に変わっていないが、 一方で、日本人である自分が、日本に住む日本人に対して演奏活動をするにあたって、 ポルトガル語の歌詞で歌うことの限界について、ずっと考えてきた。日本に住むブラジル音楽愛好家ですら、 現地人のようにポルトガル語の分かる日本人はそんなにいないので、ポルトガル語の歌詞で歌っても やはり聴き手に言葉の意味が伝わっていないことになる。

いわずもがな、歌は言葉と音の組み合わせで最大限の表現力を持つ。ということで、いつからか ブラジル音楽に合う日本語詞を作る試みが始まった。しかし、日本人にとっては豊かなブラジル 音楽のリズムや演奏方法を覚えるだけでも大変なことで、ブラジル音楽を聴く、演奏するの実践活動の、 合間にで時折日本語詞をポツポツと作ってはみたものの、何ともしっくりしたものが出来なかった。

一つの転機は、社会人となって、生活の拠点を東京から大阪に移したことだった。 まったく見知らぬ土地で、大阪のブラジル料理レストラン、カイピリーニャでブラジル音楽の 活動を継続し、1997年2月には、カイピリーニャのマスター、カイピさんの誕生日プレゼントとして 日本語詞のサンバ「Que tem Caipirinha」を作詞・作曲・制作した。このときに、なんとなく ブラジル音楽のリズムに合う日本語詞を作ることが出来た。しかし、これも試行錯誤の段階だったので 後がなかなか続かなかった。1998年前半に、本作にも収録された「イハイのサンバ」が 出来たぐらいである。

ブラジル音楽を始めて、周囲の人と一緒にサンバやMPBを聴いて演奏するようになったが、個人的には 北東部地方(ノルデスチ)の音楽に興味を持ち、ルイス・ゴンザーガやジャクソン・ド・パンデイロをよく聴いていた。 それは社会人になってからも継続していたのだが、これが功を奏したのか、1998年秋のある日、 ジャクソン・ド・パンデイロのフィーチャーしたコーコというリズムと彼の持つコミカルな詞の内容にマッチする日本語詞の歌が、 まるで神様が降りてきたかのように突如浮かんできた。それが、本作に収録されている「ココのマンホール」で、 アルバムではレゲエ風のアレンジになっているが、もともとコーコのリズムの作品として誕生したのだった。 それからは、堰を切ったかのように、「ココNO.1」、「コッペ・パン」、「ソムリエ」、「夜の電車」など このアルバムにも収録されている曲がポコポコと頭に思い浮かんできたのだ。歌詞やメロディーをああでもない、 こうでもないと修正する作業はほぼ皆無で30分もあれば1曲が出来た。

我ながら画期的な作品が出来たことを確信し、一刻も早く形にして多くの人に聞いてもらいたかったので、 本作に収録される音源制作が開始された。当時、北東部音楽に造詣の深い人は、日本の ブラジル音楽愛好家の間でもほとんどおらず、ましてや大阪で周りにいる人となればなおさらいなった事情と それまでも、ちょこちょことひとりで宅録をしてたこともあって、トラックの演奏はすべて自分でやることになった。 制作にあたっての最大の障害は、打楽器で、当時の僕は打楽器の演奏が弱く、そもそもコーコのリズムがなんたるかさえ 理解してなかった。助けになったのは、マルコス・スザーノのパンデイロ・レッスンのビデオ。このおかげで、パンデイロでの コーコのたたき方を極めて短期間で習得することができた。というか、録音がてら練習して上達したという感じでもあった。 本作リズムトラックのほとんどは、パンデイロで、低音打楽器は使っていない。まさに、マルコス・スザーノがいないければ 本作は誕生していなかったいっても過言ではなく、マルコスさまさまでである。

こうして、1999年5月、大阪アメリカ村にあるサン・ホールでのイベント「世界はサンバを待っている」の 会場にて、初めてCDが販売された。本作は、プロのミュージシャンの方を含め、好評をいただいた。 録音の音質も悪く(4トラックのMDレコーダー!)、演奏も拙く、今となっては聴き苦しいとも思うが、 最初に書いたように、歌と音の組み合わせにより最大の表現力が出せる可能性を提示出来ていると自負している。 愛聴していただければ、この上ない喜びである。

なお、その後ほどなくして4曲目の「ノムさん」を2nd Editionに差し替えることとなった。、 2nd Editionはコラージュ音源が収録し、元々収録されていた楽曲を封印したのだ。 その理由は、1999年の浅草サンバカーニバルで学生サンバ団体「ウニアォン」に所属していた青年が 浅草サンバカーニバルの打ち上げで酔っ払い、勢いで川へ飛び込んで水死した事件である。 「ノムさん」という曲で、「ノムさん、ああ、ノムさん また川に飛び込ませてくれ」という 歌詞を書いた僕は非常にショックを受けた。事件の責任は、その青年と周囲の不注意でしかないが、 そのような危険な行為を是認する、あるいはそそのかす歌詞を結果的に書いてしまったのであり、歌詞を書く者は 言葉に十分に注意を払わなければならないことを覚えた。それからは「ノムさん」の演奏もしていない。 悪しからずご了承願いたい。

Q-tchan