Dez Pes - Live Report

ホット&クール 力技の高速空間 マルコス・スザーノ(1)


2003年11月10日(Mon.) @ C.C.Riches-Claires(Brussels) 20時00分開演
AFRO URBAN SAMBA - SHOW&PERCUSSION MASTERCLASSES TOUR -
※画像にカーソルを重ねるとコメントが現れます。大した事書いてないですが。


 日本ですっかりおなじみになったマルコス・スザーノ(Marcos Suzano)は、 Q-TCHANのアルバム「ココNO.1」のサウンドにも重要な影響を与えたパンデイロ奏者だ。 アルバムを聞いてくれた人は、分かると思うがベースのリズムは、パンデイロで、 しかもいわゆるマルコス・スザーノ奏法で演奏されている。

 1998年秋のある日、突然閃いたように、日本語によるオリジナル・コーコが 作れるようになり、どんどんアイデアがわいてくるようになった。さあ、これを どうやって音として具現化しようかと考えていたが、ただでさえ、マイナーなノルデスチ音楽 のこと、当時、コーコのザブンバやパンデイロがたたける人、あるいは興味を持っている人は 残念ながらいなかった。そうして、必然的に自分で何とかするしかなかったのだが、日本で 手に入る情報などは限界があった。

 が、折りしもマルコス・スザーノによるパンデイロ革命ブームが到来しているころであった。 日本のパンデイロ愛好者にはおなじみの楽器屋、マルメラアダの阿部さんによるスザーノ奏法用の 特別調整パンデイロが製作されたり、ラティーナ社からは、「マルコス・スザーノ パンデイロ・ コンプリート・レッスン」(LAV-1001)というビデオも発売されていた。ノルデスチのリズム (もちろんコーコも)を含む18種類のリズムを収録という文句や、記事などで彼がコーコ/ エンボラーダの王様ジャクソン・ド・パンデイロのパンデイロの奏法を研究したと書いてあったので、 こりゃあもう買うしかなく、早速練習開始。隣の部屋の人に迷惑をかけつつ、約2ヶ月で曲りなりに 叩けるようになるまでになった。こうして、そのアイデアが出てきた当時の勢いを失わずアルバム 製作に入ることが出来たのだ。いわば、マルコス・スザーノ奏法に出会ってなかったら、 あのアルバムは出来ていなかったわけで、その意味で彼は恩人の一人なのである。

 その彼との直接体験は、過去2回、1回目はレニーニ・スザーノの2度目の来日公演、 2回目は、MIYAZAWAのAfro Sickライブのいずれも大阪公演。数度訪れたパンデイロ・ワーク ショップ参加の機会は逸失してしまったこともあり、彼と話をするような機会もなかった。 今回のブリュッセルでのパンデイロ・マスタークラス&ライブがあるとたまたま知ったのは、 その約4日前。マスタークラスへの申込期限が非常にギリギリだったこともあり少し迷ったが、 自分の中で、彼からの影響と素直に向き合って見つめなおし、また機会があれば彼へ感謝の 一言でもいいたいという気持ちが強かったので、参加することにした。

 さて、マスタークラスへの申込みだが、インフォメーションには、主催の文化団体 「Muziekpublique」にメールでの申込みの上、講習料50ユーロを銀行振込のこととある。 参加を決心したのが木曜日の夜で、マスタークラスは日曜日。自分の持っている口座と 違う銀行へ振り込んで、先方で確認するには、通常2営業日を要するので、金曜日中に というのは不可能な状況であった。そこで、当日現金払いで参加させてもらえないかと、 恐る恐る主催者にメールしてみたところ、あっさりOKとの返事。ご丁寧に、ある程度 パンデイロの経験があるか、パーカッション上級者であることが大切だとの忠告まで いただいた。ほっと一安心。土曜日には、FNAC(チケットセンター)へライブの前売券を 買いに行き、練習不足でなまってて、レッスンについていけないと不安だったので、 レッスンビデオを見なおして予習をしておいた。

 11月9日当日は、インフォメーションの通り、朝11時30分過ぎに、ST-JORISSITEという施設へ。 部屋がいくつもあったので、どこか分からず一瞬あせったが、ほどなく主催者のオズヴァルド氏 一行も到着。彼らは、スペイン語のスピーカーで、うーん、ブラジル人はいないのか?と 疑問に思っていたが、その後何人か、ポルトガル語スピーカーも登場。彼らと、ここで 楽器買うのは高いよねーという話などしながら、スタートを待つ。オズヴァルド氏は、スザーノが 来るのは12時過ぎと行っていたが、結局スザーノが到着したのは13時前。まったく ブラジル時間である。

 スザーノは、荷物をおろすとその机の上にあった、CONTEMPORANIAのカタログを見て、 ここのは良いよねなどと語り始める。周りに人からパンデイロはどういうものが良いかを聞かれると 早速メインで使っている、ヤギ皮でテーピング、コカコーラ缶の栓でジングルにチューニングを ほどこした特製パンデイロを披露。続いて、「それから日本製のパンデイロが良いんだよ」と 言いながら、木の枠に「阿部音具」シールの張られたパンデイロを取りだし、「日本の技術は ほんとにすばらしい。ロクタン・セイゴだとか良いやつがいるんだ。」と語り始めた。

 正直言って驚いた。日本人である僕に話しかけているのではない。日本のことなど見たことも 興味もないであろうヨーロッパ人、あるいは南米移民を前にして、日本人でも一部の人しか 知らないようなことを語って聞かせているのである。まるで、彼の中では日本がスタンダードで あるかのように。しかし、これは彼の「キング・オブ・ジャパン」ぶりを示す序章にすぎなかった のである。

 そんな彼の話を周りで興味深々に聞いていた唯一の東洋人参加者がいるのが、さすがに 気になったようだ。「お前はどこから来たんだ?」と聞かれたのでと「ここに住んでいるけど 大阪から来たんだ」と答える。すると「あー、そうかぁ。あそこは、良い街だよなぁ。 この前ショビ・シュヴァでワークショップやったよ。それから、お好み焼きがうまくてなあ」と のたまわれた。お好み焼きがうまいとは、相当通になっているとみた。そのほか、日本の エフェクター類が最高だとか、カタコトの日本語をしゃべったり日本びいきぶりを発揮していた。 恐るべし。まあ、そんなわけで彼にはすっかり名前を覚えてもらい、Grande amigoと 呼ばれるようになった。めでたし、めでたし?

 さて、マスタークラスの方だが、これは例のレッスン・ビデオに収録されている内容と ほぼ一緒。違うのは、ジャングルビートの叩き方を学べることと、アクセントの重要性をより 深く教えてくれること、あといろいろな周辺話が聞けること、そして何と言っても、 生で間近に見聞きできることであろう。あ、それからシャッフルの叩き方。 「日本の祭りではみんなシャッフルのリズムなんだよ」と言いながらみんなで練習しました。 「ブラジル人はシャッフルが叩けないんだよ。それらしいのは、叩けるけど、どうもブラジル流 なんだ」という話も興味深かった。ちなみに、僕はどうも上手く叩けず「日本人なのにぃ」と 彼に笑われてしまった。それだけブラジル化している証なのである、と都合よく解釈しておこう。

 生徒は、ベルギー人、ブラジル人、アルゼンチン人、フランス人(マルティニークからも)、 そして、日本人と国際色豊か。スザーノ先生は、何語で説明しようか?と困るほど。結局 カタコトのフランス語をベースに分からないところは、ポル語で言って訳してもらうという 方法に落ち着いた。僕は、フランス語があまりわかんないので、言ってることは70%ぐらい しか分からなかった。オール・ポルトガル語の方がましだったっちゅうの。生徒の技量は、 まあ、あまり大したことなかった。それなりに叩くのはいたが、そいつですら左手を 有効活用せずに右手首だけで叩いていたのだから、まだ熟練が足りない証拠だ。

 レッスン中、興味深い質問が出たので紹介しよう。

 「ボサノヴァはどうやって叩くんですか?」

 彼は、「むずかしいね。僕はボサ・ノヴァというリズムはないと思っている。 ボサ・ノヴァというのはコードの響きとかに特徴があるわけで、リズム自体は サンバと同じだと思う」と言ってました。それ以上、具体的な説明はなかったが、おそらく ボサノバをパンデイロでバッキング演奏をする時は、サンバの叩き方で、特有のアクセント を抑えて静かに叩けば良いのだろう。

 講習は、途中サンドイッチタイムを挟んで、基礎編と中級編を4時間たっぷり、 というか、ゆるゆるやって、午後5時に終了。こんなに遅くなるとは、思わなかった。 家でご立腹の人がいるので、ほどなく帰ることにした。スザーノに、「帰るけど明日見に いくから」って言ったら、日本語で「マタアシタ!」だってさ。PART2につづく。

 2003年11月11日 Q−TCHAN(文・イラスト)


マルコス・スザーノLive report Part2(Live編)